安部譲二が死去!死因は?近況や経歴に家族構成と代表作が社会に与えた影響は?

塀の中の懲りない面々で知られる作家の安部譲二さんが死去していたことがわかりました。

そう言えばしばらく姿を見かけません。

病気だったのでしょうか。

そこで今回は死去した安部譲二さんの死因や家族構成、異色の経歴について幼少期から作家になるまでの軌跡をまとめました。

安部譲二死去を伝える報道

安部譲二さんの死去をメディアは次のように報じています。

安部譲二さん波瀾82年、麻布中から暴力団経て作家

自らの服役体験をユーモラスに描いたベストセラー小説「塀の中の懲りない面々」などで知られる作家の安部譲二(あべ・じょうじ、本名直也=なおや)さんが2日午前1時18分、急性肺炎のため、東京都内の自宅で死去した。
82歳だった。

葬儀・告別式は近親者のみで営まれた。喪主は妻美智子(みちこ)さん。

親族によると、安部さんは今年4月末から、都内の自宅で療養中だった。

2015年に大腸がんが見つかり、切除手術を受けた。昨年末には肺への転移が見つかり、直後の散歩中には転倒して右大腿(だいたい)骨、右手首を骨折。

体力が低下して入退院を繰り返した。
それでも体調は安定していたというが、肺炎により今月1日に容体が急変。翌2日未明に帰らぬ人となった。

引用元:日刊スポーツ 2019年9月8日21時50分(https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201909080001096.html)

安部譲二の家族構成と経歴

・安部 譲二(あべ じょうじ)


本 名:安部 直也(あべ なおや)
誕生日:1937年5月17日
出身地:東京市(現東京都品川区)
死 没:2019年9月2日(82歳没)
職 業:小説家・漫画原作者・俳優・タレント
活動期間:1986年 –
ジャンル:悪漢小説・犯罪小説・青年漫画
代表作:『塀の中の懲りない面々』『RAINBOW-二舎六房の七人-』
主な受賞歴:第51回小学館漫画賞一般部門(『RAINBOW-二舎六房の七人-』)
デビュー作:『塀の中の懲りない面々』
配偶者:遠藤瓔子・安部まゆみ 他
子 供:遠藤正二朗(瓔子との子)

安部譲二さんは何度か結婚をしており現在の妻は美智子さんです。

エッセイストで音楽プロデューサーの遠藤瓔子さんとの間には息子さんがいます。

その息子さんはゲームクリエイターとして活躍する遠藤正二朗さんです。

安部譲二さんは元暴力団員だったことが広く知られています。

一方では幼少時から成績が優秀だったこともまた知られています。

安部譲二さんの波乱に富んだ経歴を詳しく見ていくことにしましょう。

安部譲二の幼少期

日本郵船に勤務していた父・安部正夫さんと母・玉枝さんの次男(4人兄姉の末っ子)として東京市(現東京都品川区)に生まれました。

父の転勤に伴いローマやロンドンで育ちました。

一家は第二次世界大戦が始まる前に帰国し、東五反田にあった母の実家で育ちます。

森村学園幼稚園に通園しました。

戦争中は熱海にあった祖母の別荘に疎開します。

軍属として出征した父の書棚にあったシェイクスピア全集や漱石全集、世界文学全集、プルターク英雄伝などを、小学校低学年にして全て読破してしまいます。

港区立麻布小学校では神童と呼ばれました。

安部譲二の中学時代

中学は私立麻布中学校に進学しますが、この頃より組関係の事務所に出入りするようになります。

このことが学校側に知られ、麻布高校への内部進学が認められませんでした。

また、傷害事件を起こしたことから、父親によりイギリスへ留学させられます。

安部譲二のイギリス留学時代

留学先はイギリス・ウィンブルドンの寄宿制学校リッジウェイス・スクールです。

当初は地元のスポーツ大会で優勝するなど、順調な留学生活でした。

入寮から4ヶ月後に、イタリアから留学中の女子生徒と二人でベッドに居るところを、舎監に見つかってしまい退寮処分となってしまいます。

その後は、カメラマンのアシスタントとしてオランダに行くなどヨーロッパを放浪していましたが、16歳の時に帰国しました。

安部譲二の高校時代

帰国後は慶應義塾高校に入学します。

体育会拳闘部の主将となったのですが、同時に本格的に構成員となりました。

また大学生と暴力事件を起こしてしまい、1955年春に除籍処分とされました。

除籍後は6つの高校を転々として、1959年に22歳で保善高校定時制を卒業します。

社会人としての安部譲二

高校卒業後はYMCAのホテル学校に入学します。

そして1961年に23歳で日本航空に入社しました。

客室乗務員として国際線や国内線で乗務し、スチュワードからパーサーまで出世しますが、客とのトラブルから前科3犯であることや、執行猶予中であること、構成員であることが露見して1965年に退職に追い込まれます。

退職後の安部譲二

日本航空を退社する1年前の1964年に所属していた組は解散します。

新宿の組織にヘッドハンティングされると、ライブハウスや飲食店の経営、プロモーターなど職を転々とします。

1960年代後半から1970年代にかけて青山でジャズクラブを経営していた頃は、羽振りがよくキャデラックを乗り回し都内に700坪の豪邸を構えていました。

作家になった安部譲二

安部譲二さんは1981年に足を洗います。

それまでの前科は暴行傷害、青少年保護条例違反、麻薬、賭博など日本国内だけで合計14犯に上ります。

また国外でも複数回服役しており、刑務所生活は8年にも及びました。

1983年から小説を書き始めますが、その前科・前歴から出版してくれる出版社は中々見つかりませんでした。

1984年、編集者の山本夏彦さんに文才を見出され、雑誌『室内』に連載するようになります。

その連載は『府中木工場の面々』と題されたもので刑務所の中について書かれたものでした。

1987年、この連載がまとめられ、『塀の中の懲りない面々』として文藝春秋より出版されました。

同書は大ベストセラーとなり、映画化までされました。

以降、人気作家としての地位を築くことになります。

安部譲二が社会に与えた影響

安部譲二さんはその人懐っこい笑顔と裏腹に、中学時代から暴力団に関わっていました。

作家で成功して以降は、この異色の経歴が注目され、テレビでも引っ張りだこになります。

安部譲二さんが社会に与えた影響で最も顕著なのは、やはり『塀の中の懲りない面々』でしょう。

刑務所のリアルな生活描写はとても新鮮に映ったからです。

そして刑務所のことを「塀の中」と呼ぶようになったのも同書の影響です。

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