ドナルド・キーンさん死去 日本国籍取得し東日本大震災後に移住

日本の古典文学から現代文学まで幅広く通じ、日本文学の国際化に非常な貢献を果たした、ドナルド・キーンさんが今日24日の午前6時、都内の病院で心不全により亡くなりました。

享年96歳であり、晩年には2011年の東日本大震災の後で日本国籍を取得し、日本に移り住んでいました。

彼の訃報に、彼を惜しむ声が多数上がっています。

今回は日本人よりも日本の文学に対して詳細な知識と愛情を持ち、そして日本を愛した一人の男であるドナルド・キーンさんについて纏めました。

都内の病院にて死去

今日24日の午前6時にドナルド・キーンさんが心不全により死去しました。

享年96歳です。

その訃報に各界から追悼の声が上げられ、またツイッターでもその偉大なる功績と人柄に対し黙とうを捧げている人が多数見られました。

ドナルド・キーンさんは日本文学者

ドナルド・キーンさんはアメリカ出身の日本文学者です。

一言で書きましたが、その功績はあまりにも大きいです。

古典文学から現代文学まで幅広く網羅し、それを世界に広く伝えた伝道師として並ぶものはいません。

その功績に栄誉を評し、2008年に文化勲章を受賞しています。

また日本文学を研究する上で、彼の著作は欠かすことのできない貴重な参考文献でもあります。

源氏物語がきっかけ

ドナルド・キーンさんはアメリカのニューヨークの生まれです。

コロンビア大学で文学部の学生として勉強していた頃に、古本屋で手に取った「源氏物語」を購入したことが日本文学への興味を持つきっかけでした。

当時は第二次世界大戦の真っただ中。

戦争関連の暗いニュースや将来の展望などで、沈みがちなキーンさんの心に、日本の平安時代の貴族たちが織りなすきらびやかな世界は深く染み込んだのです。

恩師、角田柳作先生との出会い

源氏物語から日本文学に興味を持ったキーンさんは、早速日本語を勉強し、コロンビア大学の日本文学の講座を受けました。

時は日米の緊張感が漂う1941年、受講する学生はキーンさん一人だったようです。

大学講堂にポツンといるキーンさんに、先生として現れた角田柳作先生は熱心に日本文学を教えたそうです。

一人ではもったいないのでは、とのキーンさんの問いに、「一人でも十分です」と伝え、指導のみならず受講の手続きに関することまで教えてくれたのでした。

日本文学への興味が愛情に変わったのは、まさにこの講座の時である、とキーンさんは述懐し、折に触れて角田先生への恩を語っています。

日本兵の日記

そして日米の開戦に際し、キーンさんはアメリカの海軍の日本語学校に入学し、日本語を勉強し、情報士官や通訳官として勤務しました。

そこでキーンさんは様々な形で日本人と接することになりますが、その中でも強く心を打ったのは、日本兵が書き残した日記です。

日本軍は兵士達にまっさらな日記を配り、毎日日記を書くように命令されていました。

キーンさんはそれを仕事で読むことを通じて、日本人としてどういう考えを持っていたのか、ということを直に知ることになったのです。

戦争中という極限状態での日記は、どんな文学よりもある意味で心に響いたと述懐しています。

考えてみれば、日本人にとって日記とはあまりにも身近な文化です。

かつての古典である枕草子や土佐日記などに知られるように、日本では日記は文学として昇華することさえあるものです。

キーンさんは彼らの日記を読んで反戦争を心がけ、そして日本への興味を新たにしたのでした。

日本文学研究者として活躍

戦後、キーンさんはコロンビア大学に戻ります。

そして再び角田さんの指導を受け、修士号を取得。

専門は近松門左衛門でしたが、その興味はさらに広がり日本文学全体にまでなりました。

そこからハーバード大学、ケンブリッジ大学でも学び、そして1953年に京都大学大学院に留学生として来日します。

日本文学のみならず、伊勢神宮の式年遷宮を間近で見たそうです。

コロンビア大学で助教授を経て、教授となっても、一年の半分は日本で過ごしたそうです。

大学では日本文学の講座を担当し、教材に使える教科書がなかった為、キーンさん自身が日本文学の歴史をまとめた「日本文学の歴史」を書きました。

これは古典文学から現代文学までを網羅したとんでもなく長い書です。

完成までの30年、原稿用紙では約9万枚と半端な量ではありません。

キーンさんはその書籍を皮切りに、世界に日本文学を伝え、それ以降も精力的に研究と普及に励んだのでした。

親交のある著名人

彼と親交のある日本文学の学者や、小説家の人は沢山います。

その中で特に有名な人物を挙げれば、

永井道雄

三島由紀夫

谷崎潤一郎

川端康成

司馬遼太郎

安部公房

…などなどです。

また日本に関するそのあまりの著作数故に、国文科で彼の名前を知らない人はまずないでしょう。

それくらい日本文学を研究する上で、頻繁に彼の著作はよく見るのです。

大震災をきっかけに日本国籍を取得

キーンさんは2011年に日本国籍を取得しています。

この年を見て気付く方もいらっしゃるでしょうが、東日本大震災があった年です。

キーンさんは震災と原発の被害を憂い、「大好きな日本に住み、日本人として生きる」と決心したのです。

2011年にコロンビア大学の教授を退任し、9月から日本に移り住み、翌年に日本国籍を取得したのでした。

本名を「キーン・ドナルド」へと改め、「鬼怒鳴門」と名乗ったそうです。

その後も日本文学研究家として精力的に研究していましたが、去年辺りから調子が悪くなる時が多く、快方へと向かわないまま、惜しまれつつも亡くなったのでした。

ご冥福をお祈りいたします

日本を愛し、そして日本人として、日本で亡くなったキーンさん。

彼を知るにつれて湧き出る感謝の気持ちと共に、ご冥福をお祈りいたします。

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