本田F1が優勝!復帰後初Vのレース模様の画像は?以前の戦績や現状も

F1グランプリ第9戦の決勝が6月30日にオーストリアのレッドブル・リンクで行われ、レッドブル・レーシングのマックス・フェルスタッペン(オランダ)が優勝を飾りました。

レッドブル・レーシングと本田は2019年からタッグを組んでいて、本田エンジンのF1マシンとしては実に13年ぶりの優勝となります。

そこで今回は本田F1が優勝、復帰後初Vのレースであったオーストリア・グランプの画像や動画、そして「本田F1」の軌跡について以前の戦績や現状もまとめました。

本田F1優勝の詳細

本田F1の久しぶりの優勝について日経新聞は次のように伝えています。

ホンダF1、13年ぶりVに生きる「ジェットの技」

ホンダは30日に開かれた自動車レース最高峰フォーミュラ・ワン(F1)のオーストリア・グランプリ(GP)決勝でホンダ勢として13年ぶりの優勝を果たした。

F1参戦と撤退を繰り返し、2015年に復帰した今回の挑戦では長らく結果が出ず、17年には撤退寸前まで追い込まれた。

雪辱を果たす支えとなったのは自動車技術だけでなく、小型ビジネスジェット「ホンダジェット」の技術と忍耐力だった。

「ついにF1での優勝を果たすことができた」。

ホンダが日本時間の7月1日未明に配信した八郷隆弘社長のコメント。

ホンダF1の苦節と喜びはこの一言に凝縮されている。

原動力は複数ある。

まずドイツのメルセデス、イタリアのフェラーリと共に「3強」の一角とされる強豪レッドブルとチームを組めたこと。

今回優勝したレッドブルのマックス・フェルスタッペン選手は18年も2回の優勝経験を持つ実力者だ。

もう一つ見逃せないのがホンダジェットの技術がF1にも生かされていることだ。

引用元:日本経済新聞 2019/7/1 11:46(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46790630R00C19A7000000/)

現在のF1のエンジンはハイブリッドシステムとなっています。

エンジンからの排気熱を回収して電気エネルギーを生み出す重要な機構にホンダ・ジェットの航空機技術が生かされているというわけです。

オーストリア・グランプリの本田の画像や動画

それではオーストリア・グランプリの画像や動画を見ることにしましょう。

■画像

■動画

・2019 Austrian Grand Prix: Race Highlights

動画を見るとフェラーリと激しくやりあっていたことがわかります。

タイヤ同士が軽く接触しているので、ペナルティを取られる可能性があったようですが、無事にお咎め無しで優勝が決定しました。

本田F1の軌跡

本田のF1参戦はエンジンとシャシーをすべて自社開発して参戦した1964~1968年の第1期。

既存のチームにエンジンを供給するエンジンサプライヤーとして参戦した1983~1992年の第2期。

当初はエンジンサプライヤーとして参戦し、途中からシャシーを含めたフルワークス体制となった2000~2008年の第3期。

エンジンとエネルギー回生システム(ERS)をパッケージしたパワーユニットのサプライヤーとして参戦した2015年からの第4期に分けられます。

それぞれ詳しく見ていくことにしましょう。

本田F1第1期:1964~1968年

1961年から1965年までF1のレギュレーションは1.5リッターの自然吸気エンジンとなっていました。

当初、本田はエンジンサプライヤーとして参戦する予定でしたが、供給予定だったロータスから拒絶されてしまい急遽シャシーも制作するフルワークス体制での参加ということになりました。

1.5リッターV型12気筒エンジンを載せた本田F1は、参加翌年の1965年「メキシコ・グランプリ」で初優勝を果たします。

1966年からはレギュレーションが改正されエンジンが3.0リッターとなります。

本田は3.0リッターV型12気筒エンジンで参戦します。

このエンジンを載せた本田F1は、サー・ジョン・サーティースのドライブにより、1967年の「イタリア・グランプリ」で優勝しています。

1968年には新たにV型8気筒空冷エンジンのF1マシンも投入されますが、この年を最後に本田はF1から撤退することになります。

撤退の理由は市販車用低公害型エンジン(後のCVCCエンジン)の開発のためでした。

本田F1第2期:1983~1992年

ルノーが開発に成功したターボエンジンは、世界の自動車メーカーにF1への復帰を促すことになります。

本田は1983年にエンジンサプライヤーとして復帰し、スピリット・チームにターボエンジンを供給します。

そして同年の最終戦からウィリアムズ・チームにも供給を開始して、1984年には「アメリカ・グランプリ」でケケ・ロズベルグが表彰台の中央に立ちました。

その後、1987年から中嶋悟が日本人初のF1フル参戦を果たします。

この第2期の「本田F1」はまさに黄金期でした。

1986年と1987年にはコンストラクターズ・タイトルを、1987年にはネルソン・ピケのドライバーズ・タイトルを獲得した上、1988年には本田ホンダエンジンを搭載したマクラーレンが16戦中15勝。

アイルトン・セナがドライバーズ・タイトルを獲得しています。

さらに1989年にはマクラーレンのアラン・プロストがチャンピオンとなり、1990年にはセナが再びチャンピオンに輝きました。

コンストラクターズ・タイトルは6年連続、ドライバーズ・タイトルは5年連続、本田エンジンを搭載したマシンが獲得しています。

1983~1992年までの間に通算69勝を上げ、本田はF1に君臨していました。

本田F1第3期:2000~2008年

2000年から本田は再びエンジンサプライヤーとしてF1に復帰します。

2005年まではB・A・R・チームにエンジンを供給し、2006年からはB・A・R・チームを買収する形で、フルワークス体制での参戦となります。

2006年の「ハンガリー・グランプリ」でジェンソン・バトンが第3期初となる優勝を遂げています。

その後、チームは低迷し、2008年のシーズンを持って本田はF1から撤退しました。

撤退はリーマン・ショックの影響もあります。

本田F1第4期:2015年~

本田は2015年にエンジンとエネルギー回生システム(ERS)のパワーユニット・サプライヤーとして復帰しました。

2015年から2017年まではマクラーレン・チームに供給しましたが、思ったような成果が挙げられず、2018年からはトロ・ロッソ・チームに供給先を変更します。

そして2019年からはトロ・ロッソ・チームの親チームである、レッドブル・レーシングにも供給を開始。

開幕戦の「オーストラリア・グランプリ」でマックス・フェルスタッペンが3位に入り、第9戦の「オーストリア・グランプリ」では同じくマックス・フェルスタッペンが優勝を飾るなど、実力を発揮し始めています。

本田は再びチャンピオンの座につけるのか?

以上、本田F1について見てきました。

記憶に残っているのはやはり勝ちまくっていた1983~1992年の第2期でしょう。

第3期はまるでパッとしませんでした。

2015年から復帰した第4期ではマクラーレン・チームとの間に溝が生じてしまい、第4期もダメかと思われていたんですが、レッドブル・レーシングと組んだことが幸をもたらしました。

本田は再びチャンピオンの座につけるでしょうか。

レッドブル・レーシングはフェラーリやメルセデス・ベンツと並ぶF1の3強の一角を占めるチームです。

マックス・フェルスタッペンも実力のあるドライバーです。

ですから波に乗れば十分な可能性があると言っていいでしょう。

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