雅子さまのお人柄は才色兼備!現在の年齢や外交官キャリアに学生時代の留学先は?

5月1日午前0時をもって、皇室典範特例法の規定に従い、天皇陛下(御名:徳仁)は第126代天皇として即位されています。

それに伴い、平成から令和へと元号は変わり、そして皇太子妃である雅子妃も皇后となられました。

雅子様は、とてもお人柄がよく、活動的で、才色兼備な方であり、そんな雅子様に天皇陛下は一途になってプロポーズをした、と言われています。

具体的な雅子様の経歴等に関して興味を持った方も多いことでしょう。

今回は、才色兼備な雅子様の御年齢や外交官としてのキャリア、学生時代の留学先等についてまとめてみました。

才色兼備な雅子様とは

皇后雅子様は1963年12月9日生まれであり、現在は55歳になられます。

旧名は「小和田雅子」であり、戦後生まれで初めての皇后となります。

父親の小和田恆(ひさし)さんは外交官であり、父親の転勤により様々な国で、幼少期から成人の間までに様々な国での生活をられています。

雅子様の留学先や外国でのご遊学

外国での教育期間と留学という部分をピックアップしてみると、

◯2歳の終わり頃からソビエト連邦モスクワ市立ジェツキサート保育園に通園

◯4歳からニューヨーク市立第81パブリックスクール付属幼稚園に通園

5歳から2年間市立第81パブリックスクールに入学

◯16歳からマサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに転入

◯18歳からハーバード大学経済学部に入学

留学としては、

◯25歳から外務省の研修留学としてオックスフォード大学に留学

となっています。

最後の留学も含めた1991年時点での海外滞在年数は総計で13年にも及び、国内の滞在期間は16年とほとんど差がありません。

国際感覚豊かな方であることが窺えます。

雅子様の外交官としてのキャリア

また超がつくほどの難関と言われる外務公務員採用Ⅰ種試験、所謂外交官試験に合格し、外務省に入省し、経済局国際機関第二課配属に配属され、外交官として勤められています。

外交官としての経歴は5年10か月であり、そこではかなりの激務に追われていたとのことです。

その仕事内容は、

◯スウェーデン首相イングヴァール・カールソンの夕食会に通訳として出席

◯アメリカ国務長官ジェイムズ・ベイカーとの会談に際し、渡辺美智雄、竹下登、中曽根康弘達の通訳として同行、出席した

など華々しい仕事内容です。

語学力は秀才揃いの外務省の中でも、さらに目を引くものがあったと考えられます。

雅子様のお人柄

高学歴であり、また外交官としてのキャリアも華々しいものがありますが、それ以外の実績も豊かな方です。

「文武両道」「才色兼備」である、と学生時代を共に過ごした方達は口を揃えて語られています。

野球好きだった雅子様は、中学に入るとソフトボール同好会を設立します。

朝と昼、学校での活動以外でもバッティングセンターでの練習を行い、設立当初こそ連戦連敗だったものの、中学3年の時には区大会で優勝を果たすなどの快挙を果たしています。

当時の学友の方は「花形ではないが、きちっと仕事をする人がお好きだった」と語り、お人柄と重なるのでは、と胸の内を明かしています。

また、高校に相当するベルモント・ハイスクールに入学した時はアメリカ政府がアメリカ全体の上意5%の生徒に贈る「ナショナル・オーナー・ソサイティー」を受賞されています。

さらに、語学活動に大いに意欲を燃やされ、ドイツ政府よりドイツ語と国際交流に関して賞されるゲーテ・インスティトゥート賞の受賞や、講談社が編集制作していた「エンサイクロペディア・オブ・ジャパン」の編集に関わるなど多岐に行動されています。

天皇陛下と雅子様の出会い

天皇陛下との出会いは外交官として活躍していた時期です。

1986年にスペインのエレナ王女を迎えたパーティで雅子様のご家族が招待されます。

雅子様の活躍と人柄を聞いていた天皇陛下は、雅子様とお会いして好感を持たれました。

しかし外交官という仕事を一生の仕事と考えていた雅子様は、結婚かと騒ぐマスコミに対し、「お妃候補には関係していない」とキッパリ発言しています。

それでも雅子様を結婚相手と思っていた天皇陛下は、雅子様に対し、

「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」

と伝え、その熱意に心を動かされた雅子様は、結婚を承諾されたのでした。

雅子様の適応障害

このように華々しく、能力と活動力が非常に高い雅子様でしたが、実は1993年に行われた結婚の儀の後から少しずつ心労が溜まっていき、2004年に適応障害の診断を受けています。

これに関しては様々な説がありますが、共通しているのはプレッシャーとストレスによるものである、ということです。

外交官としてのキャリアを特に評価されず、お世継ぎをはやく産んで欲しい、という周りからの声に悩まされ続け、心身ともに疲れ切ってしまった、というのが有力見解です。

2003年、当時皇太子であった天皇陛下は、「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と雅子様の心情について語られていました。

最近では病気もかなり症状が緩和し、公的な舞台にご出席なさることも多いようです。

その理由としては、天皇陛下の雅子様に対するご献身もさることながら、愛子様の成長や秋篠宮家に悠仁さまが生まれたことで世継ぎ問題に光が見えてきたことによるもの、という説があります。

雅子様は才色兼備な方

5月1日、新皇后となられた雅子様は、皇居に「初通勤」をしています。

外交などのご公務にもこれから「皇后」として取り組んでいかれることでしょう。

今回は、雅子様の年齢や外国での勉強の経歴、外交官としてのキャリア等についてのまとめでした。

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