ノートルダム寺院の大火災は改修工事が原因?場所はどこにあって何で有名なの?

ノートルダム寺院はパリ中心部にある世界文化遺産です。

そのノートルダム寺院で、15日午後7時(日本時間16日午前2時)ごろ大火災が発生しました。

屋根や有名な尖塔が燃え落ちるなど甚大な被害が出ました。

仏メディアによると、原因は火災時は改修工事が行われており、その足場付近から出火した可能性があるとのことです。

仏ラジオ局「RTL」によると、大聖堂では中心部にある高さ96メートルの尖塔の改修工事が15日に始まったばかりでした。

塔の周りには作業のための大規模な足場が9カ月かけて取り付けられていました。

AFP通信によると、パリ検察は失火の疑いで捜査を開始し、作業員から当時の様子を聴いているとのことです。

そこで、今回はノートルダム寺院の大火災は改修工事が原因なのか、そもそもノートルダム寺院の場所はどこにあって何で有名なのかについて調べてみました。

なぜ火災が発生したのか?

出火原因はまだ明らかになっていません。

消防当局は15日から始まった改修工事との関連が考えられるとみています。

4月11日には尖塔にある彫像16体がクレーンで下ろされており、彫像の修復作業中に尖塔の改修工事を行う予定でした。

火災の原因は未だ不明

消防隊が消火に当たっていますが、すでに尖塔と屋根が崩落しています。

一方で、パリ消防当局の関係者によると、大聖堂の主要部分は無事だということです。

出火時は炎が屋根を突き破ると共に、大きな爆発音が続きました。

有名な大聖堂のステンドグラスの窓も破壊されてしまいました。

消防当局は、大聖堂内の美術品の救出と北塔の崩落を阻止しようと尽力しました。

今のところ負傷者の報告はありません。
消防当局は周辺の建物から全員を避難させたとのことです。
パリ検察庁は、「火災による偶発的破壊」について捜査を開始したと明らかにしました。

パリ市内では複数の教会が大聖堂の火災を受けて、鐘を鳴らしています。

火災による被害状況は?

火は尖塔周辺の屋根付近を中心に瞬く間に燃え広がり、大聖堂は炎と煙に包まれました。

大聖堂の骨組みには木材が多用されており、そのために火が回った可能性があります。

発生から約1時間後、大聖堂の尖塔が崩落すると、付近に集まった人々から「ああ」という声が漏れました。

風で運ばれてきた火の粉や火がくすぶっている木片が人々に降り注ぎました。

大聖堂から約200メートル西側にあるサンミッシェル橋では、多くの市民らが消火活動を見守っていました。

仏語教師の方は、「ノートルダムはいつの時代もパリの中心部に存在した『パリの心臓』だ。見るのもつらい」と涙を拭いながら語っていました。

大統領官邸の報道官によると、マクロン大統領は国民へ向けた重要なテレビ演説を予定していましたが、大聖堂火災のためにキャンセルしたとのことです。

大聖堂の広報担当は、建物全体が「燃えている」と話し、「大聖堂を守っているアーチが影響を受けるかどうか、まだ分からない」という報告がありました。

ノートルダム大聖堂とはなにか?

パリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム寺院ともよばれる) はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂です。

世界遺産に登録されている大聖堂

「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録されました。

世界遺産に登録された現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されています。

ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指します。

パリのノートルダム大聖堂の正面に向かって左側のポルタイユ(正面)には、聖母マリアの聖母被昇天の主題が取り上げられています。

中段では聖母マリアが地上における生を終える場面が描かれ、上段でキリストから祝福を授けられている聖母マリアが鎮座しています。

キリストを中心にして天使や聖人たちが描かれており、過去、未来、未来という崩れた構成となっています。

ノートルダム寺院は1345年に竣工され、数度修復されている

1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成しました。

ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられました。

最終的な竣工は1345年でした。

全長127.50m、身廊の高さは32.50m、幅は12.50mと、それまでにない壮大なスケールの大聖堂が完成しました。

1789年のフランス革命以降、自由思想を信奉し宗教を批判する市民により、大聖堂は「理性の神殿」とみなされ、破壊活動、略奪が繰り返されました。

1793年には西正面の3つの扉口および、王のギャラリーにあった彫刻の頭部が地上に落とされ、ノートルダムの歴史を語る装飾が削り取られ、大聖堂は廃墟と化しました。

その後、ヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』の出版が、国民全体に大聖堂復興運動の意義を訴えることに成功し、1843年、ついに政府が大聖堂の全体的補修を決定しました。

1844年、ジャン・バティスト・ アントワーヌ・ラシュスとウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクに委任が決まり、1845年に修復が開始されました。

1857年、共同修復者のラシュスが死去しました。

その後はヴィオレ・ル・デュク単独の作業となった。1864年に修復は完了しました。

その後、ノートルダム大聖堂は2013年に着工850周年を迎え、そのプロジェクトの一環として北塔と南塔の鐘の鋳造やノートルダム大聖堂前の広場の整備、屋内照明の改修などが行われました。

大火災現在は鎮火しているが、被害は甚大

2019年4月15日の夕方にノートルダム寺院で大火災が発生し、屋根の尖塔が崩落しました。

フランスのメディアでは、現地で実施されていた改修工事による火災の可能性があると報じられています。

寺院に保管されていた文化財・美術品は、運び出されるなどして消失を免れたと発表されています。

ノートルダム寺院での火災の原因はこれから調査をしないといけません。

パリの象徴であるノートルダム寺院の火災は悲劇ですが、原因究明後は迅速な改修工事が求められます。

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