皇太子殿下のお人柄は優しいと評判!天皇即位時の年齢や名前に学生時代の留学先は?

2019年4月30日は平成最後の日となる今日は全国的に雨模様の一日となりました。

まるで平成を惜しむ涙雨のようです。

そして一夜明ければ新しい元号「令和」が始まります。

皇太子徳仁親王殿下が即位される日でもあるわけですが、そのお人柄は優しいと評判だそうです。

そこで今回は、皇太子徳仁親王殿下のお人柄や、天皇になられてからの敬称、学生時代の留学先などについて調べてみました。

皇太子徳仁親王殿下のプロフィール

まずは皇太子徳仁親王殿下のプロフィールを見ることにしましょう。

・皇太子 徳仁親王(こうたいし なるひとしんのう)

続 柄:今上天皇第一皇子
称 号:浩宮(ひろのみや)
全 名:徳仁
身 位:皇太子・親王
敬 称:殿下
お 印:梓
出 生:1960年2月23日(59歳)東京都千代田区千代田 皇居・宮内庁病院
配偶者:皇太子妃雅子(小和田雅子)
子 女:敬宮愛子内親王
父 親:今上天皇
母 親:皇后美智子
役 職:日本赤十字社名誉副総裁、国際連合「水と衛生に関する諮問委員会」名誉総裁、学習院大学史料館客員研究員 他

皇太子徳仁親王(こうたいし なるひとしんのう)は、日本の皇族です。

第125代天皇明仁と皇后美智子の第一皇子になります。

称号は浩宮(ひろのみや)、お印は梓(あずさ)です。

身位は皇太子(在位:1989年〈昭和64年〉1月7日 – )で親王になります。

皇室典範に定める敬称は殿下です。

勲等は大勲位菊花大綬章を受勲されています。

お住まいは東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある東宮御所です。

1989年(昭和64年)1月7日の父・明仁親王(当時)の皇位継承に伴い皇太子(皇位継承順位第1位、法定推定相続人)となり、1991年(平成3年)には立太子の礼が執り行われました。

皇太子となって以降、国会・政府の用いる正式表記では皇太子を冠し「皇太子徳仁親王」とされます。

男性皇族としては珍しく、歴史学(主に交通史・流通史)を専門にしています。

またヴィオラ演奏・登山・ジョギングを趣味としていて、国民にもその姿をたびたび披露しています。

皇太子殿下の優しいお人柄

皇太子徳仁親王殿下はお優しいと言われます。

いくつかエピソードをご紹介しましょう。

・約束の時間をすぎても友人を待つ

皇太子殿下は1966(昭和41)年4月、学習院初等科(小学校)に入学しました。

ご学友の中には能楽シテ方の家元である26世観世宗家・観世清和(かんぜ・きよかず)さんがいます。

初等科高学年の時、校外学習で社会見学に出かけることになっていました。

数人のグループに分かれて見学に行くのですが、約束の時間になっても友人が一人姿を見せません。

観世さんは皇太子殿下に時間がすぎたのだから出かけようと話します。

すると殿下は「あと10分だけ待ってみよう。〇〇君が来た時、誰もいなかったら困るでしょ」とお答えになりました。

観世さんはこの時、他人の気持ちを察する神経の細やかさを感じ、その優しさに心を打たれたそうです。

・公式行事中に見せた気遣い

元ホテルオークラ東京総支配人室室長の立花眞(たちばな・しん)さんもご学友の一人です。

1995年2月、国賓として訪日中だったアイルランドのメアリー・ロビンソン大統領主催による宴がホテルオークラで開かれました。

皇太子殿下も出席されるので立花さんは廊下でお出迎えをしていたそうです。

お出迎えと言っても頭を下げているので足元しか見えません。

ところが列が乱れてざわついたそうです。

立花さんがなんだろうと思っていると、皇太子殿下が目の前に現れ「立花さん。お母様のことお悔やみ申し上げます」と述べられました。

じつは立花さんは前年に母親を亡くしていました。

立花さんは皇太子殿下のお言葉が身にしみたそうです。

皇太子殿下の学生時代の留学先

皇太子殿下は1982年(昭和57年)3月に、学習院大学文学部史学科を卒業しました。

そしてその翌年、1983年(昭和58年)から1985年(昭和60年)にかけて、イギリスのオックスフォード大学マートン・カレッジに留学しました。

大学ではテムズ川の水運史について研究しています。

イギリス留学中は生まれて初めてクレジットカードを作ったり、気軽にパブを訪れたりされ自由でのびのびと過ごされていました。

他の国からの留学生たちとも交流され、この時のことは皇太子殿下にとって素晴らしい思い出となりました。

皇太子殿下の天皇即位時の年齢と敬称の変化

皇太子殿下は2019年5月1日に第126代天皇に即位します。

ですから59歳で天皇陛下になるということになります。

天皇陛下になると在位中は「今上天皇(きんじょうてんのう)」と称され、敬称は「陛下」となります。

皇太子殿下と雅子妃殿下との出会いとご成婚

皇太子殿下の親王妃候補は昭和の終わり頃から盛んに報道されるようになります。

報道は過熱し親王妃候補と目された女性の元に報道陣が殺到する騒ぎも起きます。

そして親王妃候補に上げられた女性たちが、慌てて結婚するという事態にまで至ります。

皇太子殿下は1986年(昭和61年)10月18日、来日中のスペイン王女の歓迎パーティーに出席した際、外務省条約局長だった小和田恆さんとともに招かれた長女の小和田雅子さんと出会います。

1987年(昭和62年)4月25日には、高円宮憲仁親王殿下・同妃久子様が、高円宮邸に皇太子殿下と小和田雅子さんを招き、これが親交を深める事に繋がりました。

その後、小和田雅子さんの外交官としての仕事の熱心さなどから、一度親王妃候補から外れてしまいます。

ですが皇太子殿下の強い想いは変わらず、1992年(平成4年)8月16日、二人は再会し再び交際が始まりました。

そして1993年(平成5年)6月9日に結婚の儀が執り行われました。

成婚パレードには沿道に約19万人も集まり、そのテレビ中継の最高視聴率は79.9%を記録しました。

皇太子殿下が多忙になる?

現在、皇室は危機的な状況にあります。

皇室典範の規定で皇位継承者は嫡出の男系男子に限られているからです。

ですから次の世代の皇位継承者は秋篠宮家の悠仁親王殿下(12)お一人のみという状況です。

女性皇族の方々は結婚すると皇室から離れることになります。

つまり公務の担い手が減少していくわけで、政府は今後皇族の公務をどのようにしていくか、検討に入っています。

皇太子殿下の優しい人柄と令和の時代

以上、皇太子殿下のお人柄などについて見てきました。

今上天皇は今日で退位され、明日、皇太子殿下が第126代天皇に即位します。

そして元号も「平成」から「令和」に変わります。

平成の31年間は幾度もの自然災害に見舞われましたが、その都度天皇陛下は国民に寄り添って来られました。

新たに即位される皇太子殿下もそのお人柄はお優しい方であり、学生時代にはイギリスでのびのびと過ごされています。

これからの令和の時代が皇太子殿下のお人柄の様に、人に優しい時代になると期待しましょう。

令和関連記事

関連記事

5月1日午前0時をもって、皇室典範特例法の規定に従い、天皇陛下(御名:徳仁)は第126代天皇として即位されています。 それに伴い、平成から令和へと元号は変わり、そして皇太子妃である雅子妃も皇后となられました。 雅子様は、とてもお[…]

関連記事

元号が平成から令和に変わると共に、皇太子殿下が皇位を継承して天皇陛下になりました。 それは同時に雅子様が皇后様になられた瞬間でもあります。 ご成婚後、マスコミ等の対応で気苦労が多かったかと思われる雅子様。 しかし、天皇陛下[…]

関連記事

平成が過ぎ、新たな元号「令和」を迎え、新元号の節目に深く関係されたのが天皇陛下とその皇室一族です。 平成を振り返ると、最も気になった皇族のトピックはやはり小室圭さんと秋篠宮家の長女である眞子さまのご婚約、女性宮家に関する報道ではないで[…]

最新情報をチェックしよう!