天皇陛下と雅子様のなれそめは?プロポーズ秘話や御結婚からの足跡は?

元号が平成から令和に変わると共に、皇太子殿下が皇位を継承して天皇陛下になりました。

それは同時に雅子様が皇后様になられた瞬間でもあります。

ご成婚後、マスコミ等の対応で気苦労が多かったかと思われる雅子様。

しかし、天皇陛下はいつも雅子様をお守りになられて今日をお迎えになられました。

そんな天皇陛下と雅子様のなれそめや、伝説の天皇陛下からのプロポーズ秘話や御結婚後の足跡はどのようなものだったのか気になるところです。

そこで今回は、天皇陛下と雅子様のなれそめやプロポーズ秘話に御結婚からの足跡について調べてみました。

天皇陛下と雅子様のなれそめは?

皇太子殿下の親王妃候補選びは1980年代に入って本格的に始まります。

当時の東宮大夫・安嶋彌さんがこの件の担当者となり、大きく3つに分けたルートで親王妃候補を探すことになります。

1.明仁天皇の成婚時に名前のあがった親王妃候補のリストをもとに、その娘について追跡調査する

2.明仁天皇の学習院初等科時代以来の学友グループ「郁沃会」を中心にその子女からリストアップをする

3.皇太子自身の交友範囲、個人的な交友関係・友人知人および親戚などの知り合いから好ましい女性を探す

そして雅子様はこの3つめのルートからその存在が浮上することになります。

雅子様の父親の小和田恆さんは以前、外交官として在ソ連日本大使館に勤務していました。

この時の上司が後に皇太子殿下のアドバイザーとなった中川融さんで、中川さんの紹介で雅子様に白羽の矢が立てられたというわけです。

雅子様のプロフィール

当時の皇太子殿下が強い印象と好感を抱いた雅子様とはどんな女性なのでしょう。

ここで雅子様のプロフィールを確認しておきましょう。

・皇后雅子様

誕 生:1963年12月9日(55歳)
出生地:東京都港区虎ノ門
諱:雅子(まさこ)
旧名:小和田雅子
印:ハマナス
氏 族:小和田氏
父 親:小和田恆
母 親:小和田優美子
配偶者:徳仁 (今上天皇)
結 婚:1993年6月9日
子 女:敬宮愛子内親王
身 位:皇太子妃 → 皇后
栄 典:宝冠大綬章
役 職:日本赤十字社名誉総裁

皇后雅子(こうごう まさこ)様は第126代天皇徳仁の皇后です。

1963年12月9日、小和田恆・優美子夫妻の第1子(長女)として東京都港区虎ノ門にある国家公務員共済組合連合会虎の門病院で生まれました。

雅子様の御結婚までの足跡

父親の小和田恆さんが在ソ連日本大使館一等書記官に任命されたため、1歳から4歳までソ連で暮らします。

5歳の時に父親が国際連合日本政府代表部一等書記官に就任したため、3年間アメリカのニューヨークで暮らすことになります。

そして1971年に帰国。その後、高校1年まで日本ですごしますが、父親が在米日本大使館公使に就任したため再び渡米します。

そして地元の高校を卒業後、ハーバード大学経済学部に入学します。

専攻は国際経済学でした。

雅子様は成績優秀なことから卒業する時に「Magna Cum Laude(マグナ・クム・ラウデ、優等賞)」を受賞しました。

英語を母国語としない学生の受賞は極めて稀なことです。

1986年、米国から帰国後の4月に東京大学法学部第3類(政治コース)の3学年に外部学士入学します。

しかし同年10月に外務公務員採用I種試験(外交官試験)に合格したことから、翌1987年に同大学を中退して外務省に入省しました。

入省後は得意の語学力を生かして活躍します。6年ほど勤務しますが皇太子殿下とのご成婚前に退職しました。

天皇陛下のプロポーズ秘話

1986年10月18日、スペインのエレナ王女を迎えた東宮御所でのパーティーに100人ほどが招かれました。

その中には当時、外務省条約局長だった小和田恆さん一家の姿もありました。

ただこのとき小和田家側は、長女が親王妃候補だとは知らされていませんでした。

皇太子殿下と雅子さまは短く会話を交わされただけでしたが、皇太子殿下は強い印象と好感を抱きます。

翌1987年4月25日、高円宮憲仁親王殿下・同妃久子様が高円宮邸に皇太子殿下と雅子様を招き、これが親交を深める事に繋がります。

ですが1987年12月になると雅子様が親王妃候補にあがっていることをマスコミが掴みます。

激しいメディアスクラムもあり、1989年9月には雅子様は親王妃候補であることを完全に否定します。

その後、精力的に仕事に取り組んだため、親王妃候補から外れることになります。

それから数年間、親王妃候補選びは続きますがメディアスクラムもあって難航します。

その間に弟の秋篠宮文仁親王殿下が先に結婚してしまいます。

そんな中、1992年1月に皇太子殿下はやはり雅子様しかいない旨、東宮大夫に伝えます。

そして同年の8月16日に5年ぶりに再会します。

1992年10月3日、宮内庁の新浜鴨場で二人きりのデートをします。

その場で皇太子殿下はプロポーズをしました。

プロポーズの言葉は後の記者会見で「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」だったことが明かされます。

そして同年の12月12日、雅子様は受諾の返事をされました。

皇太子妃になられて

ご成婚後、皇太子妃になられた雅子様は、積極的に公務に臨みます。

そして2001年12月1日に敬宮愛子内親王が誕生します。

その後も公務をこなされますが、2004年6月に適応障害との診断を受け休養に入ります。

2006年8月17日から31日まで、オランダ王室のベアトリクス女王の好意で、病気療養のためオランダ王国へ皇太子殿下と愛子様(当時4歳)と共に旅行し静養しました。

しばらく公務から遠ざかっていましたが、2013年頃より徐々に復帰するようになります。

そして2019年5月1日、皇后さまになりました。

天皇陛下(当時は皇太子殿下)の御発言

雅子様が適応障害との診断を受け休養に入る直前の2004年5月。

皇太子殿下は記者会見で

「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」

と発言し波紋を広げます。

雅子様の晴れやかな表情

伝統と慣習に厳格な宮内庁と、海外育ちで国際派の雅子様との間に不和が生じている事を指したものとされ、内外のメディアも大きく取り上げました。

国民の間にも議論が巻き起こり、宮内庁は対応に追われることになりました。

しかし、皇太子殿下が天皇に即位をした一連の行事を見る限り、雅子様のお顔は晴れやかで自信に満ちていました。

まだ治療中であるとも言われますが、回復は近いのではないでしょうか。

天皇陛下と雅子様と共に歩む

天皇陛下と雅子さまのなれそめやその後の歩みについて振り返ってきました。

雅子様は、これからも無理をせずに公務に臨まれるのが一番でしょう。

そして、その事を日本国民は理解し、今後も雅子様を静かに穏やかに見守って行くことが肝要でしょう。

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