1980年代のバブル華やかなりし頃、一人の予備校講師が脚光を浴びました。
派手な服装と強面から「金ピカ先生」と呼ばれた佐藤忠志さんがその人です。
往時にはタレント活動にも進出し年収2億円を誇ることもありましたが、晩年は病を患い生活保護を受けていたとも言われています。
そんな金ピカ先生こと佐藤忠志さんですが死去されていたこと分かりましたので、生活保護を受けていた噂は本当だったのかやその経歴と最近の生活状況についてまとめました。
華やかな経歴や最近の生活状況、家族はいるのかどうかなど見てみました。
金ピカ先生死去を伝える報道
まずは金ピカ先生の死去を伝える報道から見ることにしましょう。
「金ピカ先生」死す…カリスマ予備校講師の佐藤忠志さん68歳、自宅で
予備校のカリスマ英語講師で、「金ピカ先生」の愛称でタレント活動もしていた佐藤忠志(さとう・ただし)さんが、都内の自宅で死去していたことが24日、分かった。68歳だった。
佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしだったが、関係者によると、デイケアセンターの職員がこの日、自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したという。
死因は不明。司法解剖が行われる。
引用元:スポーツ報知 2019年9月25日 4時0分(https://hochi.news/articles/20190925-OHT1T50010.html)
生活保護を受けていたのは事実でした。
金ピカ先生の経歴
・佐藤忠志

生 没:1951年5月4日生 – 2019年9月24日没(68歳)
出身地:東京都
学 歴:慶應義塾大学法学部政治学科 卒業
:筑波大学大学院修士課程 修了
職 業:代々木ゼミナール講師、東進ハイスクール講師、タレント、著述家、拓殖大学客員教授
佐藤 忠志(さとう ただし)さんは教育評論家・元予備校講師。
元拓殖大学客員教授です。
2016年7月の時点でトップ・カラーに所属していました。
愛称は「金ピカ先生」。
東京都の出身で父親は世間では怒らないことを怒り、世間が許さないことには怒らないという人だったそうです。
慶應大学在学中は内山秀夫研究会に所属し国際政治学を専攻していました。
慶應大学卒業後、筑波大学大学院修士課程を修了。
1977年に代々木ゼミナール講師となり、独特の強面の風貌と教授法で「金ピカ先生」として一世を風靡します。
旺文社大学受験ラジオ講座も担当しました。
1988年に東進ハイスクールへ移籍します。
さらにタレント活動にも進出し『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などに出演しました。
1992年に予備校講師を引退。
その後はおもにタレントや評論活動に重きをおいていました。
2001年、第19回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補しましたが落選します。
2009年1月には鹿児島県西之表市長(種子島)選挙に出馬しますがこれも落選しました。
晩年は生活保護を受けて生活していましたが、2019年9月24日朝、デイケアセンターの職員が佐藤さんの自宅を訪問したところ、冷たくなって倒れていた佐藤さんを発見。
死亡が確認されました。
享年68歳。
金ピカ先生の最盛期は?
金ピカ先生は自身の最盛期について、スポーツ報知の取材に次のように応えています。
「2億。他に参考書の印税だけで1000万。(講義料は)90分で200万。それが何コマもあるから、1か月で1000万超えましたよ。
2000万近かったんじゃないですか。
(昭和)30年代の(石原)裕次郎さん、三船(敏郎)さんクラス(のギャラ)です。
三船さんも随分と可愛がってくれましたよ」
「(当時の)私は、ホテルは一番いいスイートでしたし、移動はハイヤーでしたし、新幹線はグリーンはもちろん、飛行機はファーストクラス。ねー、いい時代でした」
「欲しいもん、なんでも買えました。
スイスでこれ(時計)買いに行ったんですよ。
そしたら、ホテル代出してくれましてね。
お金あると逆に使わなくて済むんです。
時計の値段? 当時で2000万円。
キャッシュで? そうです。キャッシュが一番強いんです」
引用元:スポーツ報知 2018年7月5日 11時30分(https://hochi.news/articles/20180704-OHT1T50192.html)
バブルに重なったとは言え、豪奢な生活を送っていた事が窺えます。
金ピカ先生の最近の暮らしぶりは?
佐藤忠志さんは脳梗塞を2度患い、心筋梗塞にもなりました。
病気の後はお酒を控えていましたが、2017年頃に高級車の購入(1億円)で奥さんと揉めて、奥さんが犬を連れて家を出てしまいます。
そしてこの件をフェイスブックに投稿しています。

結局、車はその後、強引に購入したそうです。
ですが一人暮らしとなった佐藤忠志さんの生活は荒れ、朝からビールを飲むなど不摂生になります。
やがてお金も底をついてしまい、生活保護を受けるに至ったそうです。
金ピカ先生の家族は?子供はいるの?
佐藤忠志さんには奥さんはいました。
それは佐藤さんのブログやフェイスブックからも確認できます。
ですがお子さんに関しては何の記述も見つかりません。
おそらく奥さんとの間にはお子さんがいないものと思われます。
お子さんがいれば援助を受けられたでしょうから、生活保護を受給することはなかったでしょう。
金ピカ先生の寂しい晩年
佐藤忠志さんが予備校の講師を務めていた頃は、予備校の絶頂期でもありました。
大手の予備校が次々に開校し、佐藤忠志さんに続けとばかりにユニークな講師が続々と誕生していました。
しかし、バブルが弾け少子高齢化が表面化すると、予備校の経営は苦しくなっていきます。
佐藤忠志さんの寂しい晩年は、教室で授業を受けるスタイルが主流ではなくなりつつある予備校とどことなく重なるものがありました。
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