天安門事件は1989年の6月4日に起きました。
中国当局の姿勢に、世界は震撼し同時に激しい反発を引き起こします。
当時、中国は世界中から様々な制裁を受け、孤立することになりました。
ただ30年前のことですから、今の若い人にはどんな事件だったのか画像を見てもピンと来ないかもしれません。
今回は天安門事件から30年たち、事件の背景やその概要、facebookに画像や動画などはあるのかなど、天安門事件を振り返ってみたいと思います。
天安門事件のきっかけは?
きっかけは中国共産党総書記を務めた胡耀邦氏が亡くなったことでした。
胡耀邦氏は政治改革に前向きで清潔な政治家として知られ、学生たちからの支持を集めていた人物でした。
ところが1987年に失脚させられ、1989年4月15日に心筋梗塞で死去してしまいました。
その直後から北京の学生らは天安門広場で追悼活動を始めます。
そして4月19日には中国の政治の中枢である中南海の新華門へ学生たちが突入を図る事態となりました。
天安門事件で学生たちがした要求
中国の学生たちは一体何を要求していたのでしょうか。
実は当初は胡耀邦氏への哀悼のみだったんです。
ところが次第に腐敗反対や政治改革、報道の自由などの民主化要求が強まることになります。
学生たちは愛国運動だと信じていましたが、4月26日付の中国共産党機関紙『人民日報』は、この運動を「動乱」と決め付け批判する社説を掲載します。
これに対し学生たちは強く反発します。
そして5月13日から天安門広場で「動乱」の撤回を求めてハンストに入りました。
5月15日にはソ連で改革を推進している最中のゴルバチョフ書記長が訪中し北京に入りました。
すると学生らは「中国にゴルバチョフはいないのか」と意気は一段と上がることになります。
そして5月15日のデモ参加者は100万人を超えることになりました。
天安門事件に対する対応
学生らの動きに対し、中国共産党は厳しい対応を取ることになります。
それは北京市での戒厳令の施行でした。
学生たちに同情的な趙紫陽総書記は強く反対しましたが、強硬派の李鵬首相のほか実際に政治権力を握る最高実力者・鄧小平氏を含めた8人の長老たちに押し切られてしまいます。
戒厳令は5月20日に施行されましたが、その前日の19日の未明に趙紫陽総書記は、当時秘書だった温家宝氏と共に天安門広場を訪れます。
そして「来るのが遅すぎた」と涙ぐみながらハンストをやめるよう学生らを説得しました。
趙紫陽総書記はこれを最後に政治の舞台から消えることになります。
後任の総書記には上海市のトップだった江沢民氏が抜擢されました。
趙紫陽氏は自宅に軟禁され、2005年に亡くなります。
天安門事件で起こった弾圧
その時の天安門広場には学生だけではなく多くの市民も集まっていました。
BBCニュース – <動画>天安門事件から30年 中国が忘れた映像 https://t.co/aV4SRPiqzp pic.twitter.com/WCU6Fjw91W
— BBC News Japan (@bbcnewsjapan) 2019年6月3日
そして戒厳令で出動した軍と対峙します。
一方、鄧小平氏らは学生らを天安門広場から強制排除することを決定します。
そして6月3日夜、中国人民解放軍は戦車と装甲車を出動させます。
それに対し市民は路上にバリケードを置いたり、投石などをして徹底的に抵抗しました。ところが軍は市民に対して発砲を繰り返しました。
このため6月4日の未明にかけて多くの死傷者を出すことになります。
天安門事件の犠牲者の数
犠牲者の数について李鵬首相は319人であるとしましたが、実際にはその何倍もの数であると言われています。
一説には犠牲者の数は数万人に及ぶとも言われていますが真相は明らかになっていません。
1989年6月5日に作成され2017年12月23日に機密解除されたイギリス政府の公式文書では「最低に見積もっても10,000人以上が軍の犠牲になった」としています。
またソ連の公文書には犠牲者の数は3,000人という記載もあります。
天安門事件と習近平政権
中国の現政権は天安門事件を「政治風波(騒動)」と呼び「既に解決している」として「暴動」であるという認識を変えていません。
またその後の改革開放政策により急激に経済が発展したことを上げて、天安門事件への対応を正当化しています。
犠牲者遺族は真相解明を求めていますが一切拒否しているというのが現状です。
そして監視体制をより強化していて、中国版ツイッターのウェイボーでは「64」という数字すらチェックされます。
これは6月4日に起きたことから「64天安門事件」とも呼ばれるためで、仮に何度も「64」と投稿すると当局の監視対象とされてしまいます。
天安門事件の経緯とfacebookの画像
・天安門事件の経緯
4月15日:胡耀邦前総書記の死去
17日:学生が天安門広場で追悼
19日:学生が中南海・新華門に集結
22日:中国共産党中央による胡耀邦追悼式典
26日:『人民日報』社説で学生運動を「動乱」と断定
27日:『人民日報』社説に反発して大規模デモ
5月 4日:「五四運動」70周年
13日:天安門広場でハンストが始まる
15日:ゴルバチョフソ連共産党書記長が訪中
17日:100万人超がデモに参加
18日:李鵬首相が王丹、ウーアルカイシ氏ら学生リーダーと会見
19日:趙紫陽総書記が広場でハンスト学生を説得
20日:北京市に戒厳令施行される
30日:広場で「民主の女神」像が除幕される
6月 3日夜:軍が武力制圧へ進軍を開始。市民と衝突し、多数の死傷者を出す
4日未明:軍、天安門広場を武力制圧する。学生らは撤収
9日:鄧小平氏が戒厳部隊を慰問する
また、当時の画像や動画はfacebookをはじめ、各種SNSで見る事が可能です。
BBCニュース – <動画>天安門への帰還 元学生リーダーの1人が30年前を振り返る https://t.co/k7GHoIAuXv pic.twitter.com/yNxl6fdCzJ
— BBC News Japan (@bbcnewsjapan) 2019年6月4日
天安門事件はもう起きないのか?
以上、天安門事件について振り返ってみました。
天安門事件のような「動乱」はもう起きないのでしょうか。
それはわからないと思います。
現に香港では中央政府への不満から2014年に「雨傘革命」が起きています。
この時は幸い流血の事態にはなりませんでしたが、中国当局への不満は根強く残っています。
なんとも難しい話ですね。
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